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戦場でワルツを

2010年06月06日



「夢」と「記憶の欠落」が物語のエンジンになっているので、表現の手段として、アニメーションが選ばれていることに妥当性がある。

戦争の話だが、ハリウッド的手法でエンターテイメント化されていないので、ヒーローも悪人も出てこない。
もと兵士が自分の中で失われている記憶をたどってゆくというストーリー展開。
感情的にならずに、心理分析などを交えながら、淡々と話は進む。

虐殺に関する話なのだが、アニメーションなので、ある程度冷静に見ていられる。
それで、虐殺が起こる構造がとてもよく理解できた。
虐殺が悪いとか、恐ろしいと心に感じるというのではなくて、それが発生する構造がとてもよく理解できる。

虐殺は、被害者と加害者と傍観者で構成されるようだ。
被害者は反撃する手段を持たない集団。
加害者はそれを見て、攻撃欲求を抑えられなくなった集団。
傍観者は、加害者の攻撃が自分に向けられることがない状況のため、無関心な集団。

日常的に良く見られる集団の構造だと思う。
日常のそれと異なるのは、戦争という状況の中でそれが発生するとどうなるかということ。
攻撃のマックスが嫌がらせとか陰口とかのレベルではなくて、効率的な殺戮ということになってしまう。
でも構造としては、ホロコーストは狂気の沙汰ではなくて、日常の延長線上のすぐそこにある、という事実を正面から突きつけられる。

加害者がいなくなることはないので、自分が反撃の出来ない集団の一員にならないこと、反撃力のない集団を存在させないようにすること。
それが重要だと思った。
多少世の中がぎすぎすしても、攻撃されたら反撃はしておくこと。
反撃できないと加害者は頭に乗るので、気が付いたときにはとんでもないところまでいってしまう。

税金を無駄遣いしまくる公務員とか、派遣切りしか選択できない無能な経営者とか、教育する能力のない教師とか、被害者側が何もしないでやり過ごそうとしたのでとんでもないところまで来てしまっているのかも知れない。