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1Q84 村上春樹

2010年06月05日

田舎のせいか、近所の書店に入ったら、1Q84が1~3まで平積みになっていたので、まとめ買いして読み始めた。
学生時代に読み漁っていたけれど、社会人になって2~3年ぐらいしたら、村上春樹の小説にはあまり魅力を感じなくなってしまった。
これを読んでなんとなく理由が分かった。
はじめの1、2章ぐらいのところまでは、普通の小説っぽくて、村上春樹も進化しているのかなと思ったが、それより後はいつも通り。
読み取れていないだけかもしれないのだけれど、村上さんの小説って、結局文学にはならないような気がする。
独自のトライアルをしているんだろうけど、彼のパターンって、フィクションでフィクションを表現している。
登場人物が小説の中で、さらに、ファンタジーとか、SFとかに遭遇する話を、小説として書いている。
ファンタジーとかSFをそのまま素直に書けば、その物語の中の登場人物はその世界を現実として生きているので、実際に現実の中を日々生きている読者と共通点があり、共感することが出来る。
村上さんの場合、小説の中の登場人物がフィクションに遭遇している話なので、それに対する読者の共感って、現実で、映画、漫画、小説を見ているときの自分を、外から眺める、というような共感の仕方になる。
それで、足元の定まらない、不安定な不思議な状態に持ってゆかれることになる。
現実という足場がなくて、真実という答えもない。
現実っぽいものと、真実っぽいものがつらつらと続く。
トランス状態としては、心地よい仕組みが巧妙に揃えられている。
で、あらためて、これは何なのだろう?と考え出すと、空っぽの入れ物を突きつけられたような感じになる。
1Q84には出てこなかったけれど、村上さんの小説にはちょくちょく、「よく分からないけど、僕はそう思ったんだ」 的なせりふが出てくる。
実際に生きていると、「よく分からない」 に沢山遭遇する。
その都度、自分なりに結論を出して、人生を進んで行くことになる。
村上さんも色々な決断をして、結論を出しているのだと思うが、それについては、正面から書く気も、告白する気もないらしい。
それが、結論だと強弁できるけど、それだと、読者は物語という形態を巧妙にとっているだけの、「語らない」 物語を聞かされるだけだ。

なんていったところで、何を書こうと、何を読もうと、各人の勝手で、好きにすればいいし、実際、好きにしているんだろう。